漫画やアニメに出て来る料理を再現したり、萌え語りをしたり、日々の徒然を書き綴ったりするブログ。
酒と涙と男と女みたく、なタイトルパート2(笑)
↓の日記で書いていたら話が長くなってしまったので分割。
ぽちぽちと頭の中にある事をキーボードにぶつけていたら、カルロと言うキャラが急速に固まって来たので、ノア3人+刹那でちょいと語ってみます。
続きからどうぞ。
↓の日記で書いていたら話が長くなってしまったので分割。
ぽちぽちと頭の中にある事をキーボードにぶつけていたら、カルロと言うキャラが急速に固まって来たので、ノア3人+刹那でちょいと語ってみます。
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個人的には、「強い信念を持っている」と「頑固で意固地」は別物だと思ってます。GGXのカイ君(ギアを憎んでいたけど、ディズィーとの出会いで考えが変わったような)がちょうどいい例なのかな。今まで信じて来た信念を揺るがす事件なり人物なりにであった時、それを吟味し解析し時には受け入れて柔軟に自分の考えを変えられるのが「強い信念」、碌に見もせずに拒否して自分の考えの一部分すら絶対に変えないのが「頑固で意固地」。
「THE DARKNESS」では、前者が刹那、キース、レジーナ、栞で、後者がカルロです。もちっと細かく分けると、刹那とレジーナは感覚と感情で動くタイプなので自分の信念とかそういうのを言葉とか理屈では意識してないです。好きか嫌いか、快か不快か、アリかナシか、あくまでも自分の感覚が判断基準。逆にキースと栞は理屈で考えるタイプですね。多少感情は入るけど、客観的事実を元に冷静に分析して自分を律する感じ。
ただどっちのタイプも、「絶対に譲れない部分」以外はさほどこだわらない。目的地にちゃんと到着するなら手段はどれでもいいよって感じ。
んで、意固地代表はカルロ。理屈屋のようで感情派。ぶっちゃけ「僕は人間がだーい嫌いなんです!一緒に暮らすなんて真っ平ご免ですよカーッペッ!!人間なんか一人残らずシネばいいのに」という「感情」が根底にある。それを正直に表に出しちゃえばそれはそれである意味ナイスキャラなんですが、彼はそうじゃない。自分の本音が醜いものと自覚しているから、無意識に奇麗な言葉、大義名分で本音を隠してる訳です。他人に対してだけでなく自分自身にも。
ほんとの事を言うと、カルロにとって「人類滅亡=目的」「サイキッカーの理想郷を作る=目的のための大義名分」なんです。キースは「サイキッカーの理想郷を作る=目的」「人類滅亡=手段」だから、ここで二人の間に齟齬が出てくるわけです。
キース=サイキッカーの理想郷が作れるなら、人類滅亡は必須ではない
カルロ=人類滅亡が目的。サイキッカーの理想郷は人類滅亡の副産物(オマケ)
こりゃ相容れない訳ですな。
その辺の齟齬をカルロが自覚してればまだマシだったんだけど、本人が気づいてないから厄介度さらに倍。
だからカルロは、客観的事実を元に説得されてもぜーったい受け入れない。だって納得してないのは理屈じゃなく感情だから。それを自覚してないから、「理屈では分かるけど感情が納得しないんだ!」と分かってる刹那・レジーナよりタチが悪い。馬鹿は死ななきゃ直らないとはよく言ったもんです。
逆にレジーナは、「サイキッカーの理想郷を作るための手段としての人類滅亡」と信じて来たから、客観的事実を元に「別に人類滅亡させなくてもサイキッカーの理想郷作れるじゃん」と言われれば、案外すんなりと「そうか、じゃあ無理に人類滅亡させなくてもいいか。ま、私は人間が嫌いだから同じ場所で暮らすなんて絶対やだけどね」と考えを変えられる。
その辺のキース、カルロ、レジーナの微妙な齟齬がノアの崩壊に繋がる…ってイメージがあるんですが、うまく表現できるよう頑張ります。
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