漫画やアニメに出て来る料理を再現したり、萌え語りをしたり、日々の徒然を書き綴ったりするブログ。
――天界。
人が思い描く極楽浄土をそのまま形にしたようなその世界を、九つの尾を持つ艶やかな狐神…九尾吊りお紺がゆったりと歩いていた。馴染みの神である稲荷ノ狐次郎が天界に戻ってきたと聞いたので、土産話を聞きに行くことにしたのだ。二つの呪いをかけられた件の一族には浅からぬ縁と恩がある。彼らのために出来ることがあるなら一肌も二肌も脱いでやりたいし、そのために何が出来るか狐次郎の意見も聞いてみたい。
手製の稲荷寿司と取って置きの酒を携えて、お紺は狐次郎の屋敷を訪ねた。
通された座敷で待つことしばし、屋敷の主が姿を見せた。
狐次郎がどこか不機嫌そうな顔をしているのを不思議に思いつつ、お紺はにこりと笑った。
「約束もなしに押しかけてすまなかったねぇ、狐次郎の旦那」
「構わねぇよ。今更そんなこと気にするようなよそよそしい仲じゃねぇだろ。で、何の用だ?」
「あんた、件の一族に会いに下天してたんだろう?どんな様子だったか話を聞きたいと思ってねぇ」
お紺が徳利を差し出すと、狐次郎は猪口を差し出して彼女の酒を受けた。
「で、どうだった?元気にしてたかい?あんたの交神相手と子供達は」
「…………」
お紺の言葉に狐次郎があからさまに嫌な顔になった。
件の一族の娘が狐次郎と交神して男女の双子を授かったのは半年ほど前のこと、『俺が知っていることを奴らに教えてやる』と言って狐次郎が下天したのはその翌月のことだ。その半年少々の間に起きたことといえば、娘より先に生まれた一族が寿命を迎えて、現時点の一族は狐次郎の交神相手とその子供二人の三人になったことくらいだ。彼らの身に何かあったという話も聞いていない。
怪訝に思いながらお紺は質問を重ねた。
「何かあったのかい?」
「…………」
狐次郎は仏頂面で着物をはだけた。鳩尾の少し下にくっきりと、殴られたか蹴られたかしたらしい痣がある。
「おやまぁ。せっかくの色男が台無しじゃないか」
「ああ、全くだ。っ『幼い頃より狐次郎様をお慕いしておりました、交神の儀のお相手は狐次郎様と心に決めておりました。願いが叶って幸せです!』とか言うから、景気良く二人もガキを授けてやったのに、それに対する礼がこれかよ。ったく、あのじゃじゃ馬娘…」
「旦那はあの子達に取って置きの話をするために下天したんじゃなかったっけ?なんだい、痴話喧嘩をしに行ったのかい?」
「そんなわけあるか」
狐次郎は注がれた酒を一気に飲み干して稲荷寿司を乱暴に齧った。油で塗れた指に舌を這わせながら彼は紅い目をお紺に向けた。
「連中が来るのを待ってる間に昔のことを思い出してな。昼子が天界最高神になるずっと前、太照天夕子に存在を抹消された男神が世界の理を変えるだのでかいホラを吹いてた頃のことだ。当時の俺は、あの男の女房だった夜鳥子が欲しくてたまらなかったんだ。何故あんなにもあの女に執着していたのか、今じゃさっぱり思い出せねぇがな。ま、それはいい。過去の話だ。…過去の話なんだが」
「?」
「地上に長くいたせいでマトモな判断力も無くなって、おまけに今と昔の記憶がごっちゃになってきてな。気がついたら、『例の一族を滅ぼせば昼子はきっと夜鳥子に反魂の儀を命じる。そうしたら、弱った夜鳥子を攫って俺の女に出来るんじゃないか?』と考えていたんだ。で、更に間抜けなことにこの考えを連中相手にベラベラ喋っちまったんだよな。手加減無しで張り倒されて我に返って、俺が夜鳥子に恋していたのは昔のことだと言ったんだが…まだカッカしていたな」
「あらまぁ…」
「けど、ここまでやらなくてもいいだろ。仮に死んだところで生き返れるんだし、子供が蘇生されなかったらまた作ればいいじゃねぇか。子供なんざ親の道具なのに何をそんなに怒り狂う必要があったんだ?」
「え?……」
空になった猪口に酒を注ごうとしたお紺の手が止まった。
驚いて絶句しているお紺の姿に、狐次郎は首を傾げて見せた。
「どうした?」
「旦那…『子供は親の道具』って、あんた、それ、本気で言ってるのかい?」
「違うのか?俺の両親は『村を飢饉から救う』とかいう綺麗な言葉で、報酬欲しさに俺を神への生贄に差し出した。俺を拾って神に仕立てたあの男神は妻と一緒に暮らすために子供を作ってその体を乗っ取ろうとした。お前は拾った子供のおかげで富を手に入れた。お輪は妹とその子供の復讐のために自分の子供を利用した。親が自分の目的のために子供を利用した話なんざ世間には五万とあるじゃねぇか」
「…………」
狐次郎は本気で言っている。自分の思考や言動や行動の何が悪いのか、彼は本当に分からずに疑問を感じている。碌に世の中を知らないまま、子を為さない神々の世界の住人となった彼は、あたりまえの家族のかたちを知らないのだ。
徳利を持った指先がひどく冷たい。
お紺は目を伏せて無言のまま狐次郎の猪口に酒を注いだ。
その反応に狐次郎は怪訝そうに目を瞬いた。
「…お紺。俺のやったことはそんなに悪いことなのか?」
「…………。いくら拾った子とは言え、漸く授かった我が子を残して逃げ出した私だ。あんたの行動にあれこれ言う資格はないよ」
「俺のやったことはそんなに悪いことなのか」
狐次郎の口調が疑問から確認に変わったのを感じて、お紺は考え考え口を開いた。
「大抵の母親にとってはね、子供って言うのは宝物なんだよ。恋した男が贈ってくれた、かけがえの無い宝なんだ。人様から見たら不恰好だったりどれも同じに見えるかもしれないけど、当の本人にとっては何より大事な宝物なんだよ。それこそ、自分の命より大事な、ね」
「…………」
「その宝物をだよ、よりによって宝を贈ってくれた男が自ら叩き壊しに来たらどう思う?宝を壊す目的は何だと尋ねたら、お前以外の女を手に入れることだという。これで怒り狂わない女がいるかい?壊しても直してやるから、とか、もっといいものを贈ってやるから、とか言われても、そういう問題じゃないんだよ。一度贈った宝を身勝手な理由で取り上げて叩き壊そうってその考えが許せないのさ」
「…俺が夜鳥子に惚れ込んでいたのは過去のことだ」
「そんなこと私に言ってどうするのさ。そもそも旦那、鬼に片足突っ込んで頭がイカレてたとは言え、交神相手と子供を殺すと言っちまったのは事実なんだろ。その発言はちゃんと撤回して、『悪かった』の一言でも言ってきたのかい?」
「…………、…………」
真紅の目をくるりと回して記憶を手繰る様子を見せて、狐次郎は不機嫌顔で稲荷寿司を乱暴に食いちぎった。案の定、謝罪どころか撤回もしていなかったらしい。
はぁ、と溜息をついてお紺は空になった猪口に酒を注いだ。
「多分だけどねぇ、あんたの『俺が夜鳥子を好きだったのは昔の話』発言はあの子達の耳には入ってないよ。『狐次郎様は交神相手である私と子供達を自分の恋路のために殺しにきた』ってことだけしか覚えてないね」
「だから、俺が夜鳥子に惚れ込んでいたのは過去のことだと」
「だから、それを私に力説してどうするのさ。誤解されたままが嫌ならきちんと話をしにおゆきよ」
「…………」
狐次郎は鼻の頭に皺を寄せた。
天界屈指の色男を自任する彼だ、自分に惚れていた女に…ましてや人間に謝罪するなど自尊心が許さないのだろう。
そんな心境を察しつつ、お紺はわざとそ知らぬ顔で話を続けた。
「行くなら早い方がいいと思うけどねぇ。あんたも知っての通り、あの一族の命は短いんだ。モタモタしてたらあっという間に天に召されちまうよ。或いは、あんた以外の男神に子供を授かりに行っちまうのが先か」
「…話をしに行ったところで、あの女が素直に話を聞くとは思えねぇがな」
「そんなこと、やってみなくちゃ分からないだろ。あんたは口説き落とせそうにない女と見たら行動も起こさずに諦めるのかい?」
「…………」
「ああ、いけないいけない。お節介焼きの悪い癖が出ちまったよ。これ以上いらないお節介をする前にお暇しなくちゃねぇ。ま、あんたがその気になったら前日にでも声を掛けておくれ。お土産くらい持っていって欲しいからね」
「…………」
それじゃ…と、お紺が部屋を辞する時にチラリと見ると、狐次郎はこれ以上ないほど不貞腐れた顔でそっぽを向いていた。三つ又の尾を腹立たしげに揺らしながら。
――自身の屋敷に続く道をゆったりと歩きながら、お紺は物憂げに溜息をついた。
(まったく、狐次郎の旦那も素直じゃないんだから。それとも、自分で自分の気持ちに気付いてないのかねぇ?)
彼女に誤解されたままなのを面白くないと思うのは、あの娘に対して特別な感情を持っているからだ、ということに。
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